「気持ちが挫けてしまうこと」、「落ち込むこと」などの意味で使われる「心が折れる」という慣用句。三省堂の大辞林(2006年・第三版)では「苦難や逆境などで、その人を支えていたよりどころがあっという間になくなってしまう」という意味が掲載されています。
そんな「心が折れる」の語源が、実は女子プロレスにあるということはご存知でしょうか?
心が折れるの語源
「心が折れる」を作ったのは「ミスター女子プロレス」
1987年7月。女子プロファンの間では伝説となっている試合が行われました。「神取忍vsジャッキー佐藤」。当時因縁深かった両者の決着戦でもあったこの試合は、元柔道女王である神取忍選手がジャッキー佐藤選手からギブアップを奪い勝利。
試合後、この試合についてインタビューを受けた神取選手が、「あの試合のとき、考えていたことは勝つことじゃないもん。相手の心を折ることだったもん。骨でも、肉でもない、心を折ることを考えてた」と語ったのが最初といわれています。
柔道世界選手権3位、全日本選手権3連覇という実績を持つ神取選手は関節技の名手。そんな神取さんが骨を折るのではなく、相手の気持ちを折る、戦う心を折る戦いをしたという表現で用いた言葉でした。
「心が折れる」のは弱い人?
一般的に「心が折れる」というのは「諦める」という意味で使われることが多く、心が折れる人は弱い人という印象があります。では、心が折れるのは、本当に弱い人の特徴なのでしょうか?
しかしよくよく言葉の意味を考えてみると、そうではないことがわかります。
「心が折れる」ということは、少なくともその行為に「心を込めて」当たっていたことは間違いありません。心を込めて、本気でやっているからこそ、どうしようもない局面でその心が折れてしまうのです。
つまり「心が折れる」人というのは、その行為や物事に、心を込めて真剣に取り組んだ人であり、折れるところまで必死に戦った人ということになります。これが「弱い人」であるとは到底思えません。
本当に弱い人というのは、あらゆる物事に真剣に取り組めない人ではないでしょうか。
「心が折れてしまった人」というのは、それだけ一生懸命に、必死に物事に当たった人であり、「心が折れない人」というのは、真剣に物事に当たらない人、もしくは折れていることに気づかない鈍感な人という考え方が正解ではないでしょうか。
どんな時に「心が折れる」のか?
「心が折れた瞬間」がある方は、どんな瞬間に心が折れたのか思い出してみてください。折れる原因は本人にない場合が多いかと思います。
理由は簡単で、折れるほどしっかりと心を込めて物事に当たる人は、自分の少々のミスでは物事を諦めません。そんな強い人の心が折れる瞬間というのは、自分の力が及ばない部分で、何らかの力が働き諦めざるを得ない状況に陥ったときではないでしょうか。
いくら必死に物事に当たっても、自力ですべてを解決できるわけではありません。
例えばご紹介した女子プロレスの試合。ジャッキーさんは自らのミスで心が折れたわけではありません。自分の力ではどうしても神取さんの技術と体力に敵わなかったから折れたのです。
心が折れるのは自分のミスではなく、他からの圧力がかかった瞬間といえるでしょう。
折れた心を取り戻すには?
では、折れた心を取り戻すにはどうすればいいのでしょうか?
一生懸命、そして必死に行っていたことを諦めざるを得ない状況に追い込まれたのですから、折れた瞬間はショックが大きいかと思います。この状況を覆すには、基本的には時間が解決してくれるのを待つしかありません。
もちろん一人で落ち込んで、考え込んでいると、復活するまでに相当な時間がかかります。そんな時に重要になるのが信頼できる仲間や家族の存在でしょう。
仲間の前で思いっきり泣いてもいいでしょう、思いっきり愚痴をこぼしてもいいでしょう。一人で抱え込まず、思いっきり吐き出すことで復活までにかかる時間は大幅に短縮できます。
そして復活したときには、仲間や家族の存在に感謝し、新たな物事に当たっていきましょう。
「心が折れる」というのはネガティブなだけの意味ではなく、真剣に取り組んだ証拠でもあります。
「心が折れる」ことを恐れず、真剣に挑むことできっといい結果が得られるはずです。
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